続き

足立美術館の日本庭園

本日は島根県巡りの続きで足立美術館と松江めぐりをしてきた。
足立美術館島根県の誇る資産家というか横山大観作品のコレクター足立氏が一代で作った資産を傾けた横山大観の美術館である。
日本庭園も豪勢だが、日本画として一人の作品がここまで集められているところは珍しい。
で、鑑賞していると…あれ?代表作そもそも知らない。そう、日本画の名画なんてさっぱりわからない私はそもそも作品の記憶なぞなかったのだ。
明治期の日本画というと青木繁の「海の幸」とか(裸体だが男)、岸田劉生の「麗子像」とか(萌えない)が想起されるが、どうも作品数の多い大観氏はむしろ作品群として認識しているだけで何も覚えていなかったのである。
だってオラは現代美術専門だからー(アニメとまんが)


もういいや。その後松江で松江城でお堀巡りと天守閣巡り。堀尾吉晴が建てた城だと母や妹に説明しても当然覚えやしないので、功名が辻で一豊の友人の大名に茂助がいたでしょーとかいって説明する私。大河ドラマってこんなときにしか役立たん。
戦国時代は尼子氏が月山冨田城を中心におさめていてねーとかいっても覚えてくれないから、毛利元就のときに緒方拳が尼子経久やっていたでしょーとか説明。毛利の時代は吉川元春-広家がー といってもさすがに普段歴史なんぞ歯牙にもかけない人々なので情報量過多で諦めていた。


こんなことも人物中心に歴史をつむいでいるかのような風潮が悪いのだと思う。日本はお家第一だったのに…
そもそも人間ドラマとして歴史を描写するのが好きな司馬遼太郎が悪いんだろうが、戦国時代の下克上であっても主家の分家の家臣が乗っ取ったりしている以上「家」が強力に残存しているのであって、英雄がいきなり現れて全てを塗り替えるが如き、大陸の征服王朝みたいな事は起こっていない。
「家」が社会経済の変化に対応しつつ存続をかけて争っていた主流な事実を浮き彫りにしたりするのは…学者だけの仕事なのかな。小説は人間ドラマに過ぎないのか。


その夜実家に引き上げたが、仕事のある父を置き去りにして旅行に行く家族というのもまたなんだかなw
私と妹は普通にGW休暇だったのだが。