大河

今年の大河は平清盛なわけだが、視聴率の低さが際立っている。
実際なんで視聴率が悪いかは結構なぞだ。

女性層にうけないと視聴率が低くなるというのは本当のようで、昨年の江よりわるい。
ちなみに昨年のシエ、女性視点で見ている上に戦はきらい!しかいわないわがままお嬢の物語、何がおもしろいねん!
それに比べると清盛は非常に味はある。が、多分これがよくない。この大河は歴史知識が豊富な人間ほどつっこみどころが多くて面白いのである。

また、どうもストーリーの作りがアニメっぽいような気がしたりもする。最近の事例では
・弟の家盛がわざわざ死亡フラグたててから旅立って帰途、死亡
悪左府藤原頼長に謀略で嵌められただけでなく、「あーっっ!」な展開でハメられた。

この展開なら普通にいけば腐女子向けに好評になってもいいはずだが、虎兎のような受けキャラ候補に味がないので多分無理。うーん。

ちなみに歴史知識が豊富な人間ほどつっこみどころが多い事例は

平清盛白河法皇のご落胤説 
普通の俗説。一般的には忠盛と祇園女御の妹の子とされる。
世間的には大河ドラマに昼メロネタはどうか?という意見がでるようだが、実際白河法皇は男女問わずフリーダムであったことが貴族の日記に記録されており、当時の人々には「さもありなん」と思われておしまいであった。まぁネタになるよね。

保元の乱摂関家の内部抗争
太閤藤原忠実藤氏長者・内覧・左大臣頼長VS摂政藤原忠通の親子・兄弟の争いが、祇園闘乱事件での清盛の処分を決める際の立ち位置の差が既に明らかになっている。(議定で左右にわかれている)

摂関家の兄弟争いは近衛天皇への娘の入内競争も描写
(どちらかというとここで常盤御前が雑仕女として登場する方が重要)

信西が乳父をしていた雅仁親王の即位に向けて暗躍しているところを描写

後白河法皇となる雅仁親王の今様狂いは描写

など、演出というか伏線の貼り方自体は非常に細かいのである。ダメなのは「美しくないこと」?むさくるしい男の成長物語は確かに別にみたいものではない。
あと映像の問題。わざわざ土煙を表現しなくていいのである。リアルさをだすことを重要視しすぎだ。見づらい。

 ネタバレすると実際保元の乱の勃発は天皇家家督争いが元であっても、内実は摂関家の内部抗争と没落の過程である。
 保元の乱の根源は近衛天皇薨去されたときに「左大臣頼長の呪詛が原因」と美福門院が広め鳥羽法皇がそれを信じたことにある。
 鳥羽法皇は叔父子と呼び続けた崇徳上皇を信じられず、崇徳上皇の皇子である重仁親王の即位を認めず、崇徳上皇の弟、雅仁親王の即位に動いた。
 雅仁親王は当時即位可能性がほぼなく、近衛天皇薨去後の王者議定の裁定でも重仁親王、雅仁親王の皇子守仁王、翮子内親王が候補であった、うち翮子内親王は美福門院と鳥羽法皇の皇女で近衛天皇の同母姉、守仁王は美福門院の猶子となっており、つまりは崇徳上皇に将来治天の君を譲るか、美福門院が権勢を握り続けるかの論争であった。ここで守仁王に決まりかけたところを雅仁親王の乳父の信西が守仁王の父雅仁親王を飛び越えての即位は先例がないとして、遂に雅仁親王の即位となった。後白河天皇である。

 皇位継承は基本的にここで定まり、後白河天皇の子孫へ皇位継承されていくことになった。問題は摂関家である。左大臣頼長は呪詛の濡れ衣が晴れない。その状態のまま鳥羽法皇崩御すると、信西ら院近臣は摂関家の勢力削減を狙って左大臣頼長の左遷を実行、東一条の邸宅を没官(没収)した。つまり謀反人とされたのである。
 謀反人扱いされた氏長者は前例がなく、左大臣頼長は崇徳上皇を担いでの挙兵へ動く。
 頼長は摂関家荘園からの動員と、菩提寺である興福寺からの僧兵を戦力に頼み、摂関家家人としての源為義河内源氏平忠正伊勢平氏の傍流、崇徳上皇に近侍する京侍を中心にして戦うこととなる…

でも清盛の叔父忠正は宇治にも屋敷を構えるぐらいバリバリに摂関家よりの人物なんですが、あまり描写されていない。多分この辺りは描くつもりがないんだろうな。

などなど、番組冒頭で一生懸命背景説明やっても昔と違って視聴者に講談で得た知識があるわけでなし、歴女が増えても源平合戦真っ只中の1180-1185年ならともかく、意味がわからない演出が多発しているだけに見えるんだろうと思う次第。
もったいないなー