映画を見に行く日

今日は映画をまとめて見に行こうということで9/15公開のCLANNADを見に行くのと9/1公開したヱヴァの二回目を見に行くのを決行。

まずはCLANNADから
本日の参加者はやーはまさん 本郷弥生 なみへいの三人であったが、意外に誰も原作プレイしていない。
私と本郷弥生は「出崎作品を見に行くんだからそれでいいんだよ」と言ってのけるわけだが、やーはまさんは
「別に出崎好きでもないんだが」
あなたは何をしに映画をみにいくのきゃ?w
そう、去年Airを見たときもAirのファンか出崎ファンしか見に行くものではないのに行っていたどちらでもないやーはまさんは出崎ファンの如く「そしてやはりまた吐瀉物は光るんですよ!」と喜んでいた覚えが。

で、実際見てみると…普通に楽しめる出崎映画であった。
入射光・透過光が無駄に多用され止め絵で強調され、「うんうん」と思わずうなずきながら見てしまう私。
そういえばいつもなら三回パンが多用されるのに回数が不規則だったことは気になった。
ひょっとして回数に重要性の軽重が織り込まれているのだろうか。
ていうか演出メインで語ると内容がつまらなかったように聞こえるので一応フォローすると長い原作を上手にまとめていると感じられる作品であった。
PC版の発売時に「KeyがAirを超える大作(プレイ時間が)を作ったんだ!」といっていたぐらいで原作は80hほどのプレイ時間が必要なはず。それが105分でおさまるんだから出崎監督一流の解釈を行ってくれるに違いない!
確かにそうだったかどうかは原作を知らない私たちには確信は持てなかったわけだが。
ここから先はネタバレ必死。



ストーリーと感想

主人公朋也と渚の出会いの場面。家庭で孤独、学校でも一人しか友達のいないような不良少年朋也と生来の体の弱さから留年して同じ学年になった渚との出会いは学校に登る坂に咲く桜並木。どちらかというと同類を見つけ出した渚が声をかけたような形だが、その場面は実に出崎チックに入射光がこれでもかと入れられていて非常に満足のいく一品。。「どうしてもこの坂道が上れないんです」と、「だから一緒にこの坂を上ってもらえませんか?」がキーワード。

次の学園祭の場面では演劇部の再興から始まるが、渚のけなげさ・天然さの描き方がKeyらしさを感じさせる。
そして中盤の肝である同じ孤独な夢を見る二人がであった事を知る渚の一人芝居。演劇の見せ方がやや古さを感じさせるが、学園祭での出来事だしまぁ許容範囲。幻想世界は二人の出会いの運命的なものを感じさせるのもAirとかと同じか。

そしてストーリーはゲーム本編でも「AFTER STORY」として描かれた現在へとむかう。
朋也と渚は結ばれるもその新婚生活は長く続かなかった。渚は娘を身ごもるも生来の病弱さがたたり、出産時に力尽きて亡くなる。「わたしもうこの赤ちゃんに名前をつけたんです」「渚、いくな、渚ぁぁぁぁぁッ!」がキーワード。
朋也は渚の死から立ち直れず、娘を渚の両親に預けたまま5年もの間死んだように生き続けた。
友人たちは朋也が立ち直るように見守りつつフォローするがうまくいかない。
このままでは自分の二の舞だと意を決した朋也の父が取った行動は…

町の風景が昭和の時代を思わせ、二人の生活も家具の少ない昭和40年代のような部屋のつくりである。
家族としての幸せはものでなくそのぬくもりにあるという古典的な見せ方なのだろう。ものに埋もれた独り者には郷愁を感じさせる。
やはりCLANNADファンでなく出崎ファン向けな映画であると納得してしまった次第。

新劇場版ヱヴァはまた今度に。