母が22時ぐらいに帰ってきたがどうも具合が悪そうだったのでさっさと寝かせて、父と私はのんびり蒼穹の昴を見ていた。
軍人が海軍費の頤和園建設への流用が北洋艦隊に影響を与えている話とかやっていたが、儒教的な善悪論に基づく物語上の話だ。

西太后頤和園再建で国庫が傾いたのはその通りであるが、清が数億人の人口を擁す大国にも関わらず脆弱だった歳入にこそ問題があったのを忘れてはならない。
また北洋艦隊は定遠鎮遠という東洋一の戦艦(当時日本は戦艦を保有していない)を擁し、東洋の軍事大国としてみなされていた。決して日本に劣る艦隊ではなくむしろ規模・戦力をカタログスペックでみれば圧倒していた。北洋艦隊の問題は使用する側の錬度であり軍隊の質であった。清朝の元では科挙を受けるような郷紳や都市部の商人はともかくとして一般兵士や農民の識字率は低い。坂の上の雲司馬遼太郎が指摘するまでもなく、艦隊の勝敗は艦船の優劣そのものでなく、当時の艦船を使いこなす能力にあったに違いない。実際日本の連合艦隊は主砲の一回の射撃に要する時間や命中率の低さを考慮して副砲や速射砲を重視していた。日清戦争の頃の清の最大の間違いは洋務運動の中核をなす「中体西用」の考え方そのものであった。儒教的な思想そのものが体制を形作っているようでは合理的思考の元に西洋技術を使いこなすことなど現実的にできなかったのである。