原典は心頭滅却すれば火も自ずから涼し。

むかし杜荀鶴の転結句であるときいたことがあったので検索してみた。

夏日題悟空上人院 夏日悟空上人の院に題す
三伏閉門披一衲 三伏門を閉ざして一衲を披る
兼無松竹蔭房廊 兼ねて松竹の房廊を蔭う無し
安禅不必須山水 安禅は必ずしも山水を須いず
滅却心頭火自涼 心頭を滅却すれば火も自ずから涼し

天正十年の織田信長による武田征伐により新築なったばかりの新府城が放棄され躑躅ヶ崎館も陥落し、勝頼一行が天目山で自害した頃、塩山恵林寺に保護を求めた武田ゆかりの者たちを匿ったことから、織田軍により焼き討ちになった際の快川和尚の有名な辞世である。

風林火山の国らしい潔さ・力強さが好まれ後世まで伝わった句として有名で、確かに後に江戸時代に柳沢吉保甲府を領した際に恵林寺も再建あいなり、この句が寺に刻まれた。江戸幕府朱子学を信奉していたから、長期にわたり甲斐国を支配した武田家の名声を重んじていたことが影響したいたのかもしれない。

そのあと、バスで塩山駅に戻りそのまま新宿へ帰還してタカシマヤタイムズスクエアのブレッツカフェでガレットとクレープをたべてからお茶して帰宅。

食べてばかりだったので体重が心配だw