6日目

昨日おわったっちゅーねん。
それはよいとして、今日はふと思い立って足利まで聖地巡礼をしにいこうということで昼から足利に行くことにした。
まずは12時に秋葉原に向かって川嶋でうどんを食べて腹ごしらえ。
今日は結構運動するのでくっておかないといかん。
次にうさぎやに行くと…定休日だった。げーん。
仕方ないので上野→北千住→久喜→足利と早速移動。久喜で熟睡していて車掌さんに起こされたりはしたものの、順調に14時に足利へ到着。
では東武足利市駅で自転車を借りて観光でも…「休憩中」の看板。

おいーっつ!w

仕方ないのでもう一つ自転車を貸してくれる太平記館まで徒歩で進むことにした。
まずは足利氏の居館であった鑁阿寺へ向かう。さすが武家屋敷だけあって、寺なのに堀を構えていたり建物の配置が伽藍でなくて防御中心にされているのが面白い。
由来もちゃんと足利義兼の時代からここにあることを謳うが、その時代に植えられたという大木は実際は室町時代の植樹らしい。
足利荘を戦国末期まで守備した足利長尾氏か、足利学校を再興した上杉憲実のころか… なかなか趣深い。

がっかりしたのは足利学校で、創建は室町時代の史書である鎌倉大草紙によると小野篁とも足利義兼ともいわれるが、再興したのは上杉憲実であり、室町時代中期から戦国時代にかけて坂東の大学と呼ばれた東国の最高学府であった。教育の主は儒学であったが、易学、兵学、医学も盛んであり、戦国時代一の医師であった曲直瀬道三もここで学んだといわれる。
ただ後北条氏の滅亡後、蔵書は豊臣秀次徳川家康の手に移り、江戸時代には完全に儒学の学問所となり衰退していった。今残っているのは儒学の学問所としての足利学校の跡であり儒学嫌いの私には全く興味のないものだった。兵学とかが残ればよかったのに。


その後、自転車を借りて樺崎八幡宮へ向かおうとすると、時間は既に15時15分。貸し出しは16時までと言われて、「そもそもどのぐらいかかる場所なのか?」と聞いてみると
「結構遠いよ」といういまいちわからない回答。しかし16時半までに戻ってくれるならいいというやさしいお言葉をいただいて出発。
道なりにまっすぐ行けばたどりつくはず…いってみると5kmあった。炎天下の中、見知らぬ道で往復10kmを1時間で移動した上に写真パチパチ撮って戻ってきた自分の体力にびっくり。

そうそう現地は「ヨスガノソラ」の舞台で、去年の秋放映だったのでその頃には
こーんな感じでポスターやら貼ってあったらしい。

私にとっては歴史系やる夫シリーズの名作、やる夫鎌倉幕府の聖地である。
←こっち
ここ樺崎八幡宮は足利義兼が生入定した地で、鎌倉期を通じて有力御家人であった足利氏のまさに聖地であった。
足利氏は室町幕府創立とともに京の将軍家と鎌倉の鎌倉公方を中心に政治を行うようになってから足利荘に立ち寄ることもなくなっていったが、祖廟のあるこの地は室町時代〜戦国時代までは足利学校の所在地としても重要であった。

好きな作品の舞台の地というのはやはり色々と感じるところがありますね。

さて自転車で一気に足利市内まで戻り、自転車を返還すると疲れ果てて織姫神社にたどり着けず、諦めて東武足利市駅へ徒歩でてくてく向かう。
疲れ果ててはいたが16:40ぐらいに到着。帰りは特急で北千住まで直行して、千代田線で西日暮里へでて山手線で帰宅。
シャワー浴びて人心地ついたらもう何もする気がしなかった。