選択と集中

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130929-00010002-bjournal-bus_all
9/29の記事から。

この記事の発言要旨である
選択と集中多角化を進め肥大化した事業を整理する短期決戦には向いているが、次の世代の柱となるような事業を育てる中長期戦には向かない。新しい事業の種まきには赤字の覚悟が必要で、根気もいる。“健全な赤字”を許容する覚悟が必要なのだ。
にはそれなりの意味はある。

論旨がおかしいところは「「選択と集中」は短期決戦に向いているという結論」である。
企業グループが中長期的な柱をどの事業にするかを決めることが選択であり、集中はその他事業の売却と核となる事業の関連分野の買収にあたる。
企業が永続的であろうとすれば選択は必ず必要になる。同一事業の寿命には限界があるからだ。
集中は事業の新陳代謝であり、はっきり言えば新旧交代なのである。つまり買収することのみ時間短縮効果はあるが、それを非難する意味は特にない。
新しい事業の種まきが必要なのは当然で、別に新事業の健全な赤字を許容できないから事業売却するわけではない。

例に挙げた東芝を見てみよう。売却した事業は携帯事業と中小型液晶。携帯事業はリーマン後に財務体質が死にかけていた時に富士通とHDD事業と交換したような形で売却したものだが、携帯事業をもつ他の日本企業のその後を見れば全く間違った選択と思えず、しかもかつて黒字を出していたが赤字を垂れ流す状態になって仕方なく売却しただけだ。
中小型液晶も似たようなもので、売却時点ではアップルからのiPhone向けの仕事で生還していたが、それ以前は数年にわたり大赤字を出していた事業であり、iPhone後を考えると一社単独で生き抜くことが難しいと思われた事業である。
不動産の売却も遊休資産の売却で本業ではないだろう。
つまり彼らが「新しい事業の芽を摘んだ」というのはこの例だけでは不当でそれをいうならその例を示さねばならない。

正しいところは「注力した半導体原子力発電事業があまりにもハイリスクなビジネスであったため失敗した。」である。半導体がハイリスクハイリターンは元々認識の範疇だが、原子力事業は文中ではフクシマが起こったからハイリスクハイリターンと把握されているのであるから後付けであり評価としては若干不当ではある。
むしろ原子力がハイリスク事業なのはフランスのアレバを見ればわかるように、プラント建設のリスクが非常に高いことである。一基数千億円のプラント建設は新規機種の建設を行う際にはその長期間の工期のプロジェクトマネジメント能力・原子力特有の各国での原子力の規制・法令の変更に一々対応する能力がネックになるし、それをクリアしても常に長期間の工期の間の資金を支える電力会社のサポートが必須である。
原子力事業は今この三点が支えられなくなって先進国での建設が進まなくなったのである。

こうしてみると将来の事業の芽を摘んで会社が傾いた例を言いたければ、銀塩フィルムを選択・集中して倒産した米国のコダックでもあげればよかったんじゃない?と思う。